江戸時代から継承されている中心市街地の山車祭りは、八幡・八雲神社の祭礼を「 下の祭り 」、多賀神社の祭礼を「 上の祭り 」として親しまれ、江戸後期から明治中期にかけては人形山車の祭りとして、明治後期以降昭和前期にかけては下・上合わせて二十台の彫刻を全面に施した彫刻山車の祭りとして、関東一円に名声を博していました。
昭和二十年戦禍に遭い八台の山車が焼失しましたが、昭和六十年~平成六年、十六年と、上八日町、横山町三丁目、八日町一、二丁目の三町会で再建され、令和元年には八幡町一、二丁目町会により旧二丁目の人形山車が復元されました。現在十九町会十九台の山車(うち一町会は二台保有)が八王子まつりに参加し、毎年甲州街道を舞台に華麗な山車祭り絵巻を繰り広げています。
なお、平成十年代以降、下の地区を中心に山車人形の立ち上げが多く見られるなど、回帰色の目立つ祭りへと変化をみせています。
※氏名や年号など、これまで通説が定説になっていることが少なくありません。新たな事実が判明することもありますので、予めご承知おきください。